神戸地方裁判所 昭和28年(ワ)323号 判決
原告 生島藤根子
被告 松岡春子 外二名
一、主 文
(1) 被告等は原告に対し、神戸市生田区山本通三丁目一二〇番地の二二木造瓦葺二階建居宅四戸建一棟家屋番号第一七三号の中、北端一戸(七番屋敷の五九)を明渡さねばならない。
(2) 被告松岡春子は原告に対し、金一、一四八円及び昭和二八年四月一日から家屋明渡済に至るまで一月金二、〇五二円の割合による金員を支払はねばならない。
(3) 原告の被告松岡春子に対するその余の請求は、これを棄却する。
(4) 訴訟費用は全部被告等の負担とする。
(5) 本判決は原告に於て担保として家屋明渡の部分につき被告松岡春子に対し金五万円、その他の被告等に対し各金二万円、金員支払の部分につき被告松岡春子に対し金五千円、を各供託するときは仮にこれを執行することが出来る。
二、事 実
原告訴訟代理人は、「主文第一項第四項と同旨及び被告春子は原告に対し、金九、八七〇円と昭和二八年四月一日から主文第一項記載の家屋明渡に至るまで一ケ月金一、〇五二円の割合による金員を支払はねばならない。」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
「原告は従前から、その所有の主文第一項記載の家屋を被告松岡春子に賃料毎月末翌月分を原告方に持参支払の約で賃貸して来たが、同被告は被告松岡良一、同松岡敏行と共に右家屋に居住して共同に占有してゐる。然るところ被告春子は従来より賃料の支払が延滞勝で、原告が訴外那倉トミを被告方へ遣はして催告や取立をさせて漸く支払ふ情態であつたが、昭和二七年七月分からの賃料(当時の約定賃料は一ケ月一、〇三五円であつた)を延滞するに至つたので、原告は被告春子に対し、同年一一月一八日到達の書面で、同日から五日の期間を定めて右延滞賃料の支払を催告したが、同被告は右催告期間内にこれが支払をしなかつたので、原告は同被告に対し、昭和二八年三月一二日付書面を以て賃料債務不履行を理由に賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、同書面は同月一四日同被告に到達したから、同日を以て右賃貸借契約は解除せられた。然るに被告等は右家屋の明渡をしないのでこれが明渡を求めるものである。而して昭和二七年度に於ける本件家屋を含む四戸建一棟延坪数六九坪九合及びその敷地一五八坪(昭和二八年一月一八日以後は一二一坪六合八勺となる)の価格は同年九月三〇日固定資産税登録台帳に登録されたから、同日までの統制賃料額は同二六年のそれによるべきところ、同年九月三〇日同台帳へ登録された右建物及び土地の価格は別表<省略>の通りであるから、昭和二六年物価庁告示第一八〇号により算出した本件建物(延坪数一七坪九合三勺、その敷地の坪数二二坪)の賃料額は八三二円となり、従前の統制賃料額一、〇三二円(本件建物の竣工は昭和一一年であるから昭和二四年九月一五日に認可された賃料四二五円に昭和二五年物価庁告示第四七七号により定められた倍率二・四三を乗じた額)より小額であるから、右従前の賃料が昭和二七年九月三〇日右建物及び土地の登録価格が別表の通り修正されるまで本件建物の統制賃料である。
よつて原告は被告春子に対し、昭和二七年七月一日以降契約解除の日である同二八年三月一四日まではその後の登録価格の増額や告示の修正による増額にかゝわらず前記約定賃料額の内金にして右統制額である月額一、〇三二円の割合で計算した金八、七二二円の延滞賃料を、又右建物及び土地の登録価格は更に昭和二八年二月二八日別表の通り修正され、その昭和二六年度以後の固定資産税額は別表の通りであるので同年同月一五日から同月末日までの本件建物の統制賃料は月額二、〇九五円の割合で計算した金一、一四八円、同年四月一日以降家屋明渡済に至るまでの同様賃料は月額二、〇五二円となるから、右各賃料相当額の損害金の支払を求める。」と述べ、被告等の権利濫用の抗弁に対し、「被告春子は肩書居住地に於て娘と共にバーを経営して相当の収入があるのみならず、同被告の長男被告良一、同次男被告敏行は何れも他に就職して給料を得てゐる者であつて、被告等親子が協力して誠実に賃料を支ふ払意思があれば充分支払ひ得る情態にあつたに拘らず、被告春子が信義誠実に反して履行しなかつたものであり、又原告は本件賃貸借契約を解除するに当つても、被告春子の懇請により事を円満に解決すべく、右賃貸借契約を存続せしめる旨の起訴前の和解を申立てたが、被告の不誠意により成立に至らなかつたもので、被告等が本件解除を目して権利の濫用であると称するのは本末顛倒も甚だしい。」と、又、被告等の和解成立の抗弁に対しては、「原告が被告春子と起訴前の和解の交渉をしたことは認めるが、和解契約が成立したとの点は否認する。即ち、右交渉の結果、原告は被告春子に対し、賃料を昭和二八年四月分以降一ケ月二、〇二五円とし、毎月五日その月分を原告の元町通の事務所に持参して支払を受ける約で賃貸すること。同年三月末日までの延滞賃料九、一三五円の内三、二八五円を同月一五日までに、残金六、一三五円は同年四月五日以降同年九月五日まで毎月五日九七五円宛前記場所に持参支払を受けること。同被告が右契約条項に違反したときは催告等何等の手続を要せずして契約を解除する。この場合被告は即時家屋を明渡すこと。等を内容とする和解契約が成立する見込がついたので、その旨の起訴前の和解をなすべく、同年五月六日神戸簡易裁判所に申立をなし、双方出頭したが、被告春子はその際となつて右最後の条項を「賃料を三ケ月分延滞したとき」と変更されたいと申出で、原告は右三ケ月分を二ケ月分とするところまで譲歩したが、被告の諒承するところとならず、同月一一日更めて同裁判所に於て会合する約束で別れたにかゝわらず、同被告は同日出頭せず、右裁判上の和解は成立するに至らなかつたものであり、右は起訴前の裁判上の和解と云ふ形式で成立せしめるとの諒解の下に進められてゐたものであるから、その形式による合意が最後に出来なかつた以上、被告に都合のよい一致点のみにつき私法上の和解が成立したと見るべきでないこと言をまたない。」と述べた。<立証省略>
被告等訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、
「原告主張事実中、賃料額及び契約が解除により終了したとの点を除くその余の部分はこれを認めるが、賃料は昭和二八年三月一五日始めて値上の意思表示を受けたのみであるから、従前の賃料はそれまで据置かれてゐたものである。仮にそうでないにしても、(一)原告の賃料不払を理由とする契約解除は権利の濫用である。被告春子が原告主張期間内に延滞賃料全額の支払の出来なかつたことは事実であるが、原告は従来被告の繰延べ支払を宥恕して来たもので、仮に昭和二七年一一月一八日着の書面で右宥恕の打切が宣せられたとしても、被告春子は原告との間に誠意を尽して交渉を重ね、引続き宥恕の懇請をなすと同時に賃料供託を続け、昭和二八年三月一七日(本件解除の意思表示のあつた日から三日後)には僅かに二、一一五円を残すに過ぎなかつたこと及び本件賃貸借は昭和一一年以来一八年もの長きに亘つており、且つ繰延支払については過去相当期間これを宥恕せられていたに拘らず、叙上催告により突如宥恕を打切り僅か五日内に全額の支払を求め来つたが、被告春子は当時これに応ずる資力なく、やむなく右催告期間を経過したものである事実とを考へ併はせると、成程右催告期間内の履行遅滞は形の上では債務不履行となるけれども、右一連の被告の行為は賃借人としての誠意に欠けるところなく、賃貸借と云ふ継続的信頼関係を破る程の重大な不履行があつたとは考へられないから、右形式的事実をとらへてなされた本件解除の意思表示は解除権の濫用である。(二)仮にそうでないとしても、原告の右契約解除は、原告と被告春子間にその後成立した和解契約によりその効力を失つたものである。即ち、昭和二八年三月上旬、同被告は従前通り本件家屋を賃借し、原告に対し、昭和二八年三月一五日金三、〇六〇円、四月以降毎月五日金三、〇〇〇円を延滞賃料の分割金及び当月分の賃料とした支払ふ旨の約定成立し、原告はこれに関し同月八日神戸簡易裁判所に和解の申立をなし、同日双方同裁判所に出頭し、和解調書が作成される際、制裁として一回でも賃料の支払を怠つたときは当然に賃貸借契約は解除となり被告春子は家屋を明渡すと云ふ苛酷な条項を突如新に附加捜入することを申出たため、その点につき当事者間に合意が成立しなかつたので右起訴前の和解は不成立に終つたが、前記賃貸借契約並に賃料支払条項についての私法上の和解契約が成立したことは間違なく、従つて前記契約解除の意思表示は右合意により有効に撤回されてゐるからその効力はなくなつてゐる。」と述べた。<立証省略>
三、理 由
原告がその所有の主文第一項記載の家屋を被告春子に賃料一ケ月一、〇三五円、毎月末日に翌月分の賃料を原告方に持参支払を受ける約で賃貸し、同被告及び被告松岡良一、同松岡敏行が共に本件家屋に居住して共同にこれを占有し来つたこと、被告春子は従来から賃料の支払を兎角延滞し、原告より訴外那倉トミを通じ屡々請求を受けて漸く遅れ勝ちに支払ふと云ふ実情にあつたところ、昭和二七年七月分からの賃料を延滞して同年一一月にいたつたため、原告より同月一八日到達の書面で五日の期間を定めて、その支払の催告を受けたが、これに応じないでゐるうち、原告より昭和二八年三月一四日到達の書面で右賃料債務不履行を理由とする賃貸借契約解除の意思表示があつたことは当事者間に争がない。
而して、本件家屋を含む四戸建一棟延坪六九坪九合の建物及びその敷地一五八坪(昭和二八年二月二八日以後は一二一坪六合八勺となる)の固定資産税登録台帳への登録の日及び登録価格がそれぞれ別表の通りであることは成立に争のない甲第一号証の二、三により、又本件建物の坪数及びその敷地の坪数が原告主張の通りで、その昭和二四年九月一五日の認可統制賃料額が金四二五円であることは成立に争のない甲第一号証の一により明白であるから、これ等を基礎として、地代家賃統制令に基く物価庁及び建設省の告示により算出するときは、原告主張の間の本件建物の統制賃料額が、それぞれ少くとも原告主張の額に上ることは明白である。
仍て先づ被告の権利濫用の抗弁について考へるに、被告の賃料支払の遅滞を従来より原告に於て宥恕して来たからと云つてそれを以て何時までもこれを例として賃料債務の不履行を不問に付さねばならぬ法律上の事情が発生する筈はなく、債権者のかゝる恩恵を受けてゐた被告春子としては何時原告が忍耐の緒を切つて延滞賃料全額請求の挙に出るかわからないものとしてその支払の用意をしてゐなければならず、その様な立場にある被告春子に対する前記催告期間の五日は決して酷とは云へない。又被告側に於て手許不如意勝であつたと云ふ様な事情は賃料不払の法律上の言訳にならないのは勿論のこと、同被告が昭和二七年一一月一七日の催告以後誠意を尽して原告との交渉に当つたとしても、結局原告がその支払の猶予をしない以上その支払の義務は免れ得ないのである。然るところ、証人那倉トミ、同生島藤蔵の証言と被告春子本人の供述並に成立に争のない乙第二、三号証を綜合すれば、被告春子は前記催告期間内(被告春子の右賃料の提供催告期間後になされたと云ふ証人生島藤蔵の一部証言は信用出来ない)に賃料一ケ月分を那倉トミを介して提供したが一部の提供は受領出来ないとて拒絶されたのを原因として同催告期間内である同年一一月二二日に同年七、八月分賃料として金二、〇七〇円を、又翌年一月一三日に昭和二七年九、一〇月分賃料として金二、〇七〇円をそれぞれ神戸地方法務局へ弁済供託してゐる(右提供した一ケ月分は同被告に最も有利な前記七月分に充当されたと認められるから、八月分以後の分は全く提供することなく直接に供託したことゝなる)ことを認めることが出来る。ところで、原告は五ケ月分の賃料の催告に対し一ケ月分の賃料の提供は一部の履行の提供であるとして右の様に受領を拒絶したのであるが、元来本件の様な月定めの賃料債務は、家屋の使用収益の対価として日時の経過と共に発生する債務を一ケ月宛まとめて支払ふことを約したものであるから、数ケ月分延滞となつた後に於てもその全部を一括して提供する義務はなく、一ケ月分以上まとまつたものゝ提供であれば債務の本旨に従つた履行の提供と云ふべく、従つて被告春子が、原告の前記履行拒絶を理由としてなした叙上供託は適法で、これにより当該賃料の支払義務は免れるものと云はねばならない。もつとも右八月分以降の賃料は何等の提供なくして供託されたことは叙上の通りであるが、原告が既に前記の通り五ケ月分一括して提供せぬ限り一部の履行提供として受領する意思のないことを同被告に明示している以上、右の通り全額に満たないが一ケ月分以上にあたる額を提供することなくしてなした供託も弁済供託として有効と見るべく、原告が前認定の解除の意思表示をなした昭和二八年三月一四日当時においては相当期間を定めて催告した賃料の中未払は一一月分のみとなつてゐたことゝなるが、たとへ一ケ月分でも不履行のまゝである以上右解除は有効であつて、その数日後に後記認定の通りその賃料を有効に供託したとしても一旦発生した解除の効力に何の影響もないのは勿論であり、右解除して権利の濫用と云ふを得ないことは明らかである。
次に和解契約の成立により賃貸借契約解除は失効したとの抗弁について考へるに、起訴前の和解の為の交渉が原告と被告春子間に行はれたことは当事者間に争ないところであるが、証人生島藤蔵の証言及び被告春子本人尋問の結果の一部を綜合すれば、原告は昭和二八年三月始頃被告春子と右交渉をした結果大略原告主張の様な内容で和解成立の見込がついたので、これを起訴前の裁判上の和解とする諒解の下に、同年三月六日神戸簡易裁判所に出頭し、和解調書作成の為和解条項を読聞かされた被告春子は、債務不履行の際の契約解除約款が「賃料を一回でも怠つたときは直ちに賃借家屋を明渡さねばならない。」と具体的になつてゐたため、初めてその重大性に驚き、一回を「三ケ月分」と訂正すべく提案したため、原告主張のような経過を経て和解契約は不成立に終つたことを認めることができる。被告は仮令起訴前の和解としては成立しなくても、双方の意見の一致を見た賃料支払条項については民法上の和解が成立したと主張するが、当事者が特に和解を裁判上のものとして明確強力なものとする合意をなした右のような場合には、特別の事情のない限りその和解は裁判上のものとなることをその成立の条件としたものと見るべきであるから、右の様に被告春子の責に帰すべき事由により裁判上の和解として成立を見るに至らなかつた以上、叙上被告春子に都合のよい一部の合意のみが分離されて民法上の和解として効力を持つと云ふ不合理はあり得ない。尤も被告春子が第二回目の和解期日である三月一一日に前記裁判所へ出頭しなかつたのは恩人の葬式に手伝に出向いたためであつたことは同被告の供述により明らかであるが、さらばと云つて原告に何等の連絡も出来ない程の事情にあつたとは認められないのであるから、裁判上の和解不成立の責は同被告にあると見るの外はない。従つて右和解契約が有効に成立してゐることを前提とする本抗弁も又採用の限りでない。
以上の次第で原告の前記契約解除の意思表示は依然有効であり、従つて右意思表示が被告春子に到達した昭和二八年三月一四日を以て本件賃貸借契約は解除せられたのであるから、被告春子及びこれと共同で本件家屋を占有してゐる被告良一、同敏行は何れも原告に対し本件家屋を明渡す義務あるものである。
次に延滞賃料の点について考へるに、被告春子が昭和二七年一〇月分までの賃料を有効に弁済供託してゐることは前認定の通りであるが、同被告はその後も昭和二八年三月一七日に昭和二七年一一月及び一二月分として金三、〇六〇円、昭和二八年四月六日に同年二月分及び一月分の一部として金三、〇三七円、同年五月一一日同年三月分及び一月分の不足分として金三、〇三八円を賃料の弁済として供託してゐること、成立に争のない乙第四、五、六号証により明白であるが、右の内少くとも前記契約解除の日までの原告主張の約定賃料の額の限度に於て支払義務を免れたと云ふべきである。(尤も右供託が原告に提供して拒絶された上でなされたことについては立証はないが、前説示と同様な理由でその提供を必要としないのである。)が、その後の分は解除により賃料として弁済するに由がないから供託は不適法で弁済の効力はない。仍て損害金の額につき考へるのに、昭和二八年三月一五日以降同月末日までの統制賃料額が金一、一四八円で同年四月一日以降本件家屋明渡済に至るまでの同様賃料月額が金二、〇五二円であることは前認定の通りであるから、原告が被告春子に対しこの賃料相当額の支払を求める請求は正当である。
仍て本訴は、被告春子に対し賃料の支払を求める部分を失当として棄却する外は正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 石井末一 大野千美 林義一)